日清戦争の開戦当時、清国は「眠れる獅子」として列国から恐れられていた。しかも我が国は徳川時代の鎖国政策から脱して二十年余りしか経っておらず、軍備も軍人に対する処遇も不十分であった。

それでも兵士には「軍人家族保護法」という法律があって、明治二十八年一月には我が村でもこの法律に則して次のような協議がなされている。

『本村在籍の予備、後備の下士兵卒にして出役した者の家庭で罹災、又は生活に困難する者は左の事項にて支給贈与す」

一、出役中家族困難するものは貧困の程度と家族の多少と嗣子と弟の区別によって一ケ月一円以上二円以下を支給す。
二、前項の保護を受けたるものも受けざるものも不慮の災害に罹りたる者は二円以上、十円以下を給す。

《附則》
一、本村軍人出役発途の際は、村長、村会議員その他主だったるものは便宜の地迄之れを送り親切に告別し可成りその行を壮たらしめ歓送迎するものとする。
二、軍人出役中、不幸にも戦死したるものある時は丁寧に弔意を表し相当の石碑を建立する。
右全員賛成、成立する。尚、日清戦争に出役している者、次の通り。

◎ 高田作助 三十二歳(父、長兵衛)湯崎、近衛兵として明治天皇の護衛に当たる。瀬戸鉛山村に於ける近衛兵の第一号、明治三十八年、九月マニラにて病死(四十三歳)遺族、湯崎、高田進氏祖父。田辺、高田良夫氏祖父。

◎ 嶋 大吉(兄、嶋虎蔵、中地、海軍二等水兵、明治三十三年、広島海軍病院にて病死、遺族、瀬戸二丁、嶋清治氏。

◎ 真鍋卯之助、三十一歳(父、三郎)下地、海軍二等水兵、昭和六年死去(六十八歳)遺族、真鍋栄一氏祖父。

◎ 堀田信之助(父、堀田儀作)下地、海軍、昭和八年十月死去、七十二歳、遺族、瀬戸一丁、堀田儀策氏祖父。

◎ 池宮政吉 二十四歳(父、重兵衛)下地、大阪へ転出。

◎ 安土吉左衛門(父、久吉)江津良、不明。

◎ 十河宗吉(父、惣右衛門)江津良、海軍、遺族、高槻市へ転出。

◎ 岩城浅吉(父、岩城次郎吉)綱不知、海軍、昭和十九年十二月十七日死去、遺族、広島県へ転出。

◎ 浦 徳松の家族、後不明。

◎ 藪 市松の家族、後不明。

以上の十名であるが、日清戦争(明治二十七、八年)から年を経ること百年にして、既にその当時苦労された勇士たちの名前すら不明である。今では役場にもその記録がない。

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