左義長(さぎちょう)という行事は遠く平安時代から宮廷に伝わる儀式で、清涼殿でとり行われました。

庭に青竹を束ね、その傍らに松葉や柴を置き、その上に扇子や吉書を付けて陰陽師が呪文を唱えながら歌い囃すうち、これに火を付けます。

そして、この燃えさかる火に呪力があるというので、餅を焼いたり体をあぶったりする風習があったそうです。その伝統が各地方に少しずつ異なった形で残っておりました。

わが瀬戸鉛山村の瀬戸地区では、現在漁協のあるあたりの瀬戸の浜で、江津良地区は、渡瀬家の下の浜辺で行われました。

いずれも旧正月の一月十四日までに、相撲の土俵くらいの大きさに丼桁の竹櫓を組み、中央に雄松、雌松の大きな松の木を立て、その周囲に門松やお飾りを置きます。これらは、子供たちが各家庭を回って集めてくるのだそうです。

そして翌日の十五日、朝早くこれに火を付けて「左義長や左義長や、どんどや、どんど」と囃しながら燃やすのだそうです。そして、この火で鏡餅を焦がしたり、後ろ向きになって尻をあぶったりしながら無病息災を祈ります。習字に使った紙をこの炎にあて、その紙片が空高く舞い上るのを見ては、字が上手になると言って喜んだりしたものです。

「どんど」が終わると、真ん中で半焼けになっている松の枝を少しずつ家へ持ち帰り、それをカマドに入れて「赤おかゆ」を炊くのです。そして、どんどで焼いて真っ黒に焦げた鏡餅を小さく切って、この「赤おかゆ」に入れると出来上がりです。
これを「いびつ」の葉に盛ってまず神棚に供え、今年も家族がつつがなく過ごせるよう「家内安全」をお祈りするのです。

しかし、このような風習も、瀬戸鉛山村に船が通いバスが来るようになってからは次第にすたれていき、大正の終わり頃にはもうやっていなかったように思います。

門まま

昔は旧暦でしたが、盆の十五日に小学生の女の子の間で「門ママ」という習慣がありました。それは、昼前から隣近所や気の合った者同志が五、六人ないし十人位がグループをつくり、家から一、二合の米と小遣い銭をもらってきます。そして、庭先の広い家や自良浜の松原、ときには船小屋などに集まって、自分たちでご飯を炊いたり、おかずを作ったりして一緒に食べるのです。

言わば「ままごと」遊びのようなものですが、何の娯楽もない時代でしたので、子供たちはこの日を待ちかねていたようです。そして、この門ママに参加すると夏ばてしないという昔からの言い伝えもあるので、五、六才の子供でも、親が米や小銭を一人前に持たせ、
「おまいら、そう、この子も仲間に入れたってよ……」と小さな女の子を置いて帰る親もありました。

このような風習は昭和十年頃まで続いたと思いますが、戦争が始まったので完全に途絶えてしまいました。
しかし、江津良付近では戦後も残っていたということです。
shira17