「南紀民俗覚え帖」という本に次のような物語があります。

熊野三所神社の境内に「もんぢさん」と呼ばれる小さな祠があります。この祠はボラ網の神様として、毎年ポラ網の始まる前にここでお祭りを行います。そして、三所神社の秋祭りにもこの祠の前で獅子舞をつかったといわれています。
この祠の縁起は、音、瀬戸に「もんぢ」という人がいて、村人が仕掛けたボラ網を盗んだのを見付けられて捕えられ、処刑されました。

ところが、それから後「もんぢ」の崇りか、ボラが一匹も獲れないようになりました。村人たちは「もんぢ」の霊を慰めるために、この祠を建てて祀ったそうです。そうすると、再び以前のようにポラの豊漁が続くようになったので、それ以来この祠をポラ網漁の神様として崇め祀るようになったと伝えられています。

この伝説を裏付けるように神社には小祠がありました。(鳥居を入って二十メートル位奥の左側)ところが、ポラ網が次第にすたれていくとともに、この祠もいつしかなくなってしまって現在に至っています。

大正末期ごろまでのポラ網はなかなか活気があって、瀬戸漁業の大きな収益の一つになっていました。ポラ網漁は祭りが終わると最盛期に入ります。ボラの群れがやってくる時期は、大体十月から十一月にかけてです。ポラという魚は回遊魚の一種なので、この時期には群れになってやって来ますが、あまり沖を通るとフカに襲われるので、岸磯に背鰭をこすりつけるようにして通るときさえあります。

ボラのなむら(魚群)が押し寄せると海水が赤くなり、水面が波立ちます。時にはこのポラの群れを狙って海鳥の集団が乱舞することもあるそうです。こんなボラの群れを発見すると、坂上の杉おいさんは白い大きな幣を持ち出し、フンドシ姿で「ポラや、ポラや」と村中に触れまわります。

ボラがやって来ないときは、臨海の番所山や、時には円月島の頂上へ登って白い「幣」を振りながら「ボラよ来い。ボラよ来い」と呼ぶのだそうです。こうして、ボラの群れを発見すると瀬戸浦へ合図を送ります。 この合図を待ちかまえていたポラ漁の網舟は、 一斉に四丁艪で沖へ漕ぎ出すのです。このように「幣」を振った音頭取りは、杉おいさんのほか、田井善九郎さんや門野佐市さんなどがおられました。

このようにしてボラの大漁があったときは旗を立てて、にぎにぎしく帰港し、現在の瀬戸三丁目、雑賀丈吉氏宅の下の札場(臨海道路をつけるため移転して今はない)で「ボラのせり市」が始まります。
せり落とされた魚は、当時の魚問屋「佐七」の船で大阪周辺へ運ばれたり、腹を裂いてカラスミを取り出し、金持ちの家の食膳を賑わしたりしたものでした。
このように情緒のあるボラ網漁の風物詩も、水質汚染が進むにつれ漁獲高は減少の一途をたどり、時代の変遷とともに消えてしまったのは淋しいかぎりです。

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