「南龍公」の別邸が臨海の桔梗ケ原に出来上がったころの話である。 京仏師によって造られた阿弥陀如来像を江戸の増上寺へ運ぶため、太郎船に乗せて浪速の港を出港した。

船が日の岬付近まで来たとき、日が暮れて船頭は舵とりを交替して仮眠していた。瀬戸崎沖まで来たとき、「船頭さん、船頭さん、船を停めて私をこの瀬戸崎に降ろして下さい」という声が聞こえたが、そんなことは出来るはずもなかった。なおもウトウトしていると、どうしたことだろう、船は前に進まず岸へ岸へと近寄っていき、ついに磯へ乗り上げてしまったのである。

驚いた船頭は、先程の声の主に違いないと思い、立ち上がって目の前の男に手を振り上げた。その途端、その男はたちまち後光の射す阿弥陀如来に変わっていた。
船頭は驚いて平伏すると、阿弥陀様は静かに「私は江戸の増上寺には行きたくない。この瀬戸浦の寺の阿弥陀三尊として収まりたい」と言われた。

船内でこんなやりとりをしている内に夜が明けはじめた。そして、この難破船を見た瀬戸浦の漁民たちは「それ助けに行け」とばかり、数隻の漁船で現場に向かった。そして、船頭から阿弥陀様の有り難いお告げを聞くと、一同は大喜びしながら船から阿弥陀様を降ろし、大切に南籠公の別邸に仮安置した。

太郎船は阿弥陀様を降ろすと、難なく磯から離れ江戸に向かって走り続けて無事に到着したと言われている。

そして瀬戸浦では、お寺の庫裏を改造するやら、大掃除するやらして、翌日、寺に阿弥陀様を安置したと伝えられている。

その後、阿弥陀如来像の開眼供養会は元禄八年(一六九五年四月八日)盛大に行われたと伝えられている。今から約三百年前のことである。

この物語は文久二年(一八六二年)の田辺庄、社寺書き上げ帳に記載されており、これをもとに昭和三十五年京都市の樋口富麿という日本画家によって本覚寺絵巻物上下二巻に描かれた。その中の一場面を大きく描いたものを額となし、本堂の右欄間に掲げられているという。

(赤芋雑誌より抜粋)

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