江津良に三木与平という人がいた。大柄ではなく右腕が少し奇形であったが、滅法力が強く彼の右腕で抱えこまれると相手は身動き出来なかったという。彼は「右手がちょっと短かった」という人もいたが、いずれにせよ一方の旗頭であった。
彼の孫に三木勲・十四美という兄弟がいる。この他、四股名を『江津良浜』という田井国松や渡瀬稔・中井清四郎という力士もいた。

瀬戸地区には『瀬ノ海』『臨海』(南要太郎)古田健太郎らがいたし、東白浜地区には『綱の海』や、二代目『綱の海』(真鍋三吉) 『浦勇』(真鍋平吉) 『三船山』(真鍋伊佐夫)らの力士がいた。

西富田には泊 松次郎がいた。この人は『若勇』という四股名で、京都大学臨海実験所の開所相撲大会に五人抜きの優勝を果した人である。なお、彼のご夫人は瀬戸一丁目の大江梅乃さんである。

さらに他町村に目を転ずれば大塔村の『加茂川』がいる。剣神社の宮司で久保さんと言い、この界隈では有名人である。

続いて中辺路町には栗栖川の『千代の松』『若桜』『源氏山』の三兄弟がいて、そのうちでも次男の山本民二、四股名『若桜』は特に強く有名を馳せた。彼は相撲を止めてから田辺市の福路町で焼鳥屋『若桜』を経営していて、この方面でも名高い人である。

この他にも、学生相撲では関西大学の森永弘一がいた。彼は学生相撲の主将として鳴らした人で、帰郷後は目玉の森永というニックネームがあった。紀南相撲大会の勇者であったばかりでなく、上芳養村の村長として地方政界でも有名であった。

そのほか、力士ではなかったが源丸という名物行司役がいた。彼は小柄なのに大飯食いで、あちこちで相撲大会があるのを知ると、どんな場所へでも行司の衣装や冠、軍配などを風呂敷に包んで出掛け、行司を勤めた。この名物行司も、戦後間もなく朝来の踏み切りで列車事故で亡くなった。紀南の相撲界にとっても惜しむべき存在であった。