田野氏は瀬戸四丁目で、明治三十五年、田野清蔵と妻はんの長男として生まれた。彼の兄弟は男ばかり八人で、それぞれ頑強な体躯の持主であった。彼は家業の運搬船を手伝いながら青年会の役員も勤めていたが、相撲もまた得意であった。

大正十二年五月、徴兵検査に甲種合格し、その年の秋祭りの相撲大会で五人抜き優勝を果した。このとき、彼の相撲の取り口を見ていた瀬戸一丁目の石場近蔵翁が一升瓶を提げて田野宅を訪れ、「お前とこの兄、なかなかええ相撲とるのう!あら今にええ力士になるで」と親同士で喜んで祝盃をあげたという。

当日の相撲大会はあいにく小雨が降っていて、それが原因で清一郎は風邪をひき、肋膜炎を併発してしまった。そして十二月の入営日が近付いても治らなかったので、入営延期を願い出て許され兵役免除となった。幸か不幸か、彼は立派な体躯に恵まれながら、その後も兵として招集されることがなかったかわり、相撲も取ろうとはしなかった。

しかし大東亜戦争の末期、海技免状を持っていた彼は、海軍の軍属として徴用され、戦後はシベリアに抑留された。そして、昭和二十三年に日本へ送還されたが、その後の彼の活躍は世人のよく知るところである。