今では賑やかになった白浜も、七十年前には人口二千人程の淋しい一寒村でした。中でも今の白浜中心地区あたりには人家が一軒もなく、現在の瀬戸一丁目の南 勲二氏宅からは湯崎まで見通すことができたのです。

瀬戸から湯崎までの間は田畑や荒れ地、雑木林などが続いていましたから、狸や狐の巣があったのは当然のことだったでしょう。夕方になってから湯崎へ行くときや、瀬戸から綱不知まで行くときに狸や狐が出てきて人に悪さをしたり、化かしたりした話は沢山ありますが、そのうちでも次の三つが有名でした。

一、つく元お春

白良浜から湯崎へ越す峠の「つく元」には、昔弘法さんという小さな寺がありました。そこには年とった堂守りのお婆さんがいたし、向かいの家には松吉という寺男もいたのですが、暮れ時にこの前を通ると、女の狸が「こっちへおいで、こっちへおいで」と言って寺の後ろへ連れて行ったそうです。その女は狸なのか、それとも松吉の彼女か嫁さんだったのかは分かりませんでしたが、いつの間にか「つく元お春」の名がつきました。

二、寺谷(現中央台付近)に昔、古いお寺がありました。四百年ほど前に火事で焼けてしまって、今は瀬戸三丁ロヘ移築しましたが、その頃、この寺に美男の小僧が居たというところから、この付近に出没する狸を寺谷小僧と呼んだそうです。

三、矢倉のおさん
現在の白浜館の裏側からスーパー「オークワ」辺りまでを矢倉といい狸穴の多いところでした。それで大正の末頃にここへ白浜検番ができた当座は、ここへ出入りする芸妓のことを新地の狸と呼んでいたそうです。