白浜の怪談・奇談

次第に忘れ去られようとしている瀬戸の怪談・奇談を記録しておきたいと思う。科学万能の世の中に、そんな馬鹿げた話があるものかと受け取られる方もいるかも知れないが、まあ書いておこう。

音、 一人の漁師が四双島付近で船釣りをしていたが、その日に限って一匹の魚も釣れない。何とかして一匹でも釣りたいものだと夢中になっているうちに日が暮れはじめた。

ふと、比井崎(日ノ岬)の方を眺めると、まるでゴムマリのような火の玉がこちらへ向かってやって来るではないか!―そして、それが、みるみるうちに大きな火の玉となってこちらへ進んで来たかと思うと、やがて大きな船に変わり、危うく衝突しそうになった。

驚いた漁師が果然として眺めていたところ、それは湯崎沖の西へ十里ばかりのところで忽然とかき消えてしまった。――
漁師は恐ろしくなって震えながら逃げかえり、みんなに話をしたが誰も信じなかった――。 これは徳川末期の「祇園尚濂」が湯崎に十三年滞在していたときの著書「蓬窓茶話」に記されている物語りなのだが、実は私も子供のころ祖母から「四双島の火の玉」の話を聞かされたことがあった。

さらに、雑賀貞次郎さんの「南紀民俗控帳」にも大正の初め、田辺の山際梅吉氏の父が、天候の悪い夜は四双島の近くを通ると必ず幽霊船が現れるが、それに近付いていくと忽ちかき消えて何事も起こらなかったと証言している。

(注) このような話が二つも三つも残されているという事について、私は必ずしも荒唐無稽な話ではないと信じている。

私が人魂を体験したのは、昭和十三年九月、北満の爽信子駐屯時代のことであった。

この時の戦闘で、二人の戦死者を出した渡辺隊は、戦友の遺体を火葬に付し、僅かな遺骨を拾って、残りは部落の外れにある小山に埋葬した。それから二、三日経って雨が降りだした夜、その人骨の燐が発光したのだろうか――そこから青白い煙のようなものが立ちのぼるのを戦友二、三人と一緒に見たことがある。しかし、それが世間で言う人魂であったのかどうかは分からない。

四双島は昔から海の難所と言われるところなので、長い歳月の間に多くの船が遭難して幾多の人命が失われてきた。とすれば、人魂が出たとしても不思議ではないと思うのだが――。それにしても、それが船になったり大きな入道になったり、というのはやっぱり何かの錯覚ではなかろうか……。