敗戦の年の昭和二十年九月二十五日、私は復員して白浜に帰った。そして、まず自分の職場だった湯崎の健民修練所を見ようと思った。修練所への道筋には店を開めた家々が多く人通りも全くなかった。廃墟とはこんな状態をいうのであろうか。

しかし、こんな時代でも後年、役場の宿泊者統計を見ると昭和二十年は四万七千人とあったから驚きである。

白浜は、その翌年の十二月、南海大地震によって大きな被害を受けたのだが、国民の祖国再建への熱意と平和産業復興への意欲は全国に満ちていた。特に観光産業再建への波はわが白浜町にも滔々と押し寄せ、旅館・ホテルの新築や増築があいつぎ、観光客も次第に増加しつつあった。

昭和二十三年には、土曜日に準急黒潮号が走るようになり、昭和二十五年の毎日新聞社主催の『観光百選』では、別府・熱海を抜き「温泉の部」で箱根に次ぐ二位となり白浜の名はいよいよ高くなった。さらに昭和二十六年になると臨時観光貸切列車(乗客四百五十人)が来泉したのを皮切りに、次々臨時列車が運行されるようになった。

こうした情勢をふまえ、旅館・ホテルの増加やゴルフ場の開設などもあり、受け入れ態勢も急速に整いつつあった。そして、昭和三十四年七月には念願の紀勢西線と東線がつながって本格的な紀南観光のブームが到来したのである。だが、当時はまだ航空路線や高速道路もなければ国道も整備されておらず、白浜を訪れるには国鉄に頼るほかはなく、白浜口駅はいつもお客の送迎でごった返すありさまであった。

このような観光ブームは十年くらい続いたであろうか。昭和四十三年の資料によれば、白浜の旅館・ホテルは七十数軒、保養所は百軒を越えている。また、臨時列車の本数も増え昭和三十五年には年間百七十数本運行されている。

このような観光ブーム到来のなかで、当時、旅客宿泊の手配は旅館組合が一手に引き受け、各旅館へ公平に宿泊客を配分するよう心がけていたが、団体客の割り振りが難しかった。

旅行社側からは、あまり細分せず数軒の大旅館に分宿することを要求してきたので、規模の小さい旅館から客の配分に対する苦情が出はじめた。この間の苦労を、当時の旅館組合専務の、故 百合辰雄氏は、
「当時は、戦後間もない頃だったので、布団・丹前・浴衣は足りないし、各地との電話のやりとりも難しく、和歌山や大阪へ連絡するにも一日がかりでした。電話をかけるために白浜口駅まで行って駅の電話を借りなければならないという始末。
そして、予約が入ってからでも何度も下見が来ました。お客が来られる日には、各旅館から派遣された女中さんたちと、オシポリを持って南部や印南辺りまで出迎えに行かなければなりませんでした。

それに、やっと旅館に着いても、いろいろなもめごとは総て旅館組合の私のところへ持ち込まれる――。それでも、その頃は私も若かったので忙しいということに張り合いを感じていました。」と語っていた。

このように宿泊客を公平に割り振りしたつもりでも、組合内部での不平不満は日ごとに募り、小旅館の代表者五、六人が集まって、このままでは我々の死活問題になりかねない。小旅館は、それなりの特色を出して、廉価で家族的なサービスをモットーとした旅館組合を作り、自分達で独自に旅客誘致を図ろうではないかと、昭和三十年後半に『白浜旅館組合いこら会」を結成し華々しく営業活動を開始した。会長は有雅荘の(平見栄七)。役員は湯の谷(中村喜三郎)万長(小山源太郎)円月荘(有ノ木 勝)であった。

この組合は、初めの四、五年は順調に運営されていたが、観光客のニーズは次第に高級化し、大旅館、豪華ホテルを指向するようになった。

時代の変化には抗しがたく「いこら会」の前途が危ぶまれる事態を迎えた昭和四十年代に、渡辺白浜町長が「白浜温泉に旅館組合が二つもあるということは不自然であり、対外的にも聞こえがよろしくない」ということで仲裁に入り、昭和四十三年に円満に解決して二つの旅館組合が再統合された。

それから三十年の星霜が流れ、マイカー時代が到来し南紀白浜空港が完成した。今や航空機による旅や海外旅行が時代の花形である。それにつれて国内の観光地も次第にさま変わりして、昔のドンチャン騒ぎの旅行から、スポーツを楽しむ旅行、個性を生かした旅行などが好まれるようになった。

次々に押し寄せる客を、各旅館に割り振りするのに苦労した当時の生き証人の峰尾さんや百合さんもすでに過去の人となり、七十数軒あった旅館・ホテルも現在では二十七、八軒とか。それら消え去った旅館すべての名は記録できないとしても、せめて小資本経営の特質を活かして、家族的なサービスで白浜繁栄の波に乗りたいと頑張った、あの『いこら会』会員の旅館名を記録しておきたい。

《 湯崎地区 》
小金井・湯の谷・花屋・崎の湯旅館・つぼみ・しろがね・八千代・翠泉・紅屋・七五三・不二屋・みやこ・一楽・みむろ荘・本陣

《 白浜地区 》
つるや・有雅荘・おしどり荘・万長・三船・桔梗家・円月荘・錦翠園・牡丹園・よしの

《 東白浜地区 》
浜作・浜の家・白翠園・一望園・花ノ井

(注)この名簿の中には加入していない旅館もあり、書き漏らしもあるかもしれません。