戦時中の温泉場は戦力増強を図るため、国民の休養と療養を目的とした場所となり、遊びごころを満足させる遊興の地ではなくなった。

昭和十六年八月の時点で官公庁の保養所・療養所は既に十軒あったが、戦局の拡大ともに、旅館は続々と修錬所や保養所に転換していった。

▽昭和十年 五月 山上通りの県警察官厚生寮、風莫荘の開所式。

▽昭和十三年 六月 御舟町の大阪市交通局健康保険組合厚生荘の開所式。

▽昭和十三年 十一月 坂田町の大阪陸軍病院白浜転地療養所の開所式が行われた。(院長、野村軍医大尉)

▽昭和十四年 十二月 中央台の軍事保護院、白浜温泉傷洟軍人療養所が開院した。(院長、西岡時雄博士)

▽昭和十五年 六月 山上通りの白浜逓信保養所、紀南荘の開所式。(所長、羽山清四郎)

▽昭和十六年 六月 東白浜の白浜ホテル(支配人、佐々木賢一郎)を買収して、大阪造幣局白浜保養所が発足した。

▽昭和十七年 七月 大浦の大阪営林署白浜保養所「望南荘」を新築して開所した。

▽昭和十八年 七月 東白浜の金波楼を白浜鉄道療養所に転売し開所した。

▽昭和十八年十二月 山上通り、白浜山荘を県産業組合連合会白浜保養所に転売し開所した。
▽昭和十八年十二月 湯崎の県立白浜健民修錬所の開所式。

▽昭和十八年十二月 御幸通り旅館美浜荘(津本康男)を大阪府産業報国会の健民修錬所に転売し開所した。

▽昭和十九年 一月 寺谷川のホテル雁風荘(大阪市越智社長、支配人峰尾繁)が大阪市立健民修錬所に転売し開所した。

▽昭和十九年 五月 浜通り白浜舘(栗本鉄工所)を日本医療団大阪府支部が買収して「奨健寮」という健民修錬所が発足。

▽昭和十九年 五月 御幸通り白浜明荘を結核予防会大阪支部が買収して「南紀寮」という健民修錬所が発足した。

▽昭和十九年 七月 古賀浦の旅館、望月(佐藤虎吉)を鉄道省が買収して鉄道健民修錬所を開設した。

▽昭和十九年 七月 浜通りの銀翠旅館を日立造船の厚生寮に転売した。

▽昭和十九年 九月 山上通りの県警察官厚生寮を財団法人船員保険会が買収して船員保険寮「風莫荘」が発足した。

▽昭和十九年 十月 東白浜の海浜楼を住友製鉄の厚生寮に転売する。

▽昭和十九年 十月 湯崎の「淡路屋旅館」(川口駒吉)を早川電器KKの健民修錬所として貸与し経営する。

▽昭和十九年 某月白浜新地に京都市交通局健康保健組合の白浜保養所「いこい寮」が発足した。

このように、旅館は大企業の厚生施設へと転向し、さらに健民修錬所などに転身していった。この外にも健民修錬所や厚生施設になった旅館もあったと思うが、私の知る範囲で記録してみた。
shira21