現在の白浜の中心は白浜地区であるが、大正以前までは、湯崎地区と瀬戸地区であった。その内でも湯崎地区は田畑もなく急斜面の条件の悪い土地柄であったが、温泉があり鉱山があって、千年前から紀の出で湯とも牟婁の湯とも言われて、中央でも早くから知られていた。

そんなところから文人墨客や湯治客らが往来していたのであるが、何と言っても当地方は交通不便な熊野地方の、そしてまた田辺から渡し舟で江津良浜まで来て、てくてく湯崎まで歩いて行かねばならない。こんなところでも病後の湯治には最適とあって、明治の頃には大勢の湯治客があったようである。

その当時、専門の旅館は一、二軒であったろうが、多くの人は一般の民家の離れや、二階の一室を借りて自炊をする。そして、昼は近くの銭湯に行ったり魚釣りに行ったり、付近を散歩したりして病後の養生に努めたようである。時には家族を呼んで一緒に休養を楽しむ。

湯治客には期限がないので二、三カ月、長い人は半年にも及ぶことがあり、そのうちに宿の家人とも交友が始まり、食ベ物や土産物をあげたり貰ったりする。この他、四国や淡路の漁民が一家で船で湯崎の港へ乗りつけ天幕を張り、寝起きしながらお風呂へ入ったり磯釣りに行ったり、湯治客よろしく船の中で一家団欒を楽しんでいた。こんな船が何艘もあり、また湯崎の湯が忘れられず毎年来る漁船もあった。

このようにして始まった間貸し業も、部屋貸しをするだけではなく、食事を付けて出した方が客にも喜ばれ、また商売にもなるというところから、だんだんと旅館形態に変わっていったようである。

田辺の牟婁新聞の毛利清雅社長が、明治四十一年に書いた「湯崎温泉案内記」という本の中に旅館として記されているのは、南から順に次の十五軒である。

栖原屋・柳屋・菊屋・淡路屋・土佐屋・酒井屋・角屋・市ノ瀬屋・よろず屋・名手屋・有田屋・日高屋・田辺屋・神崎屋・川口屋。

尚、よろず屋には早くから内湯があったという。当時の湯崎には「鉱の湯・浜の湯・疝気湯・元湯・阿波の湯・屋形湯・崎の湯」の七湯があった。

《 参考事項 》毛利清雅氏は明治四十一年にすでに観光案内記を出しているのだから、さすがに先見の明のある人だ。
この人は田辺の牟婁新聞の社主であり、雄弁家であるばかりでなく、文筆にかけても優れた人である。この案内記出版については、当時の楠見西牟婁郡長から薦められたということである。著作・編集は毛利、印刷・製本は東京、発行元は牟婁新聞で定価は四十銭、郵税四銭となっている。本を開くと口絵の古い湯崎温泉の写真が懐かしい。

『緒言』を読んでみると、「湯崎温泉に遊ばんとする者は海陸いずれから来るとも田辺町を経由せねばならぬ。そして田辺に着いたら何よりも先に宿を探さねばならないので旅館名を記しておく。(五明楼・ねじ金屋・京八楼・大黒屋・錦城館・一二三楼・山中・安村・かせ松・塗師惣・池久・錦水軒等)その他、田辺付近には名勝も多いが、旅客は速やかに一浴が欲しいので直ちに温泉の記事に移る。しかして後、この付近の名勝も紹介する。心して読み給え」

(注)今日の案内記とは論調が違うことに注目したい。

そして、湯崎温泉の項では
① 瀬戸鉛山村の概要
② 旅館名
③ 湯崎七湯のそれぞれについての説明と萬屋に内湯があったこと。楠見部長が熱心に湯崎温泉改良策を講じ、浜の湯、疝気湯が改築されたこと。殊に浜の湯では楼上に遊戯室まで設けたことが書いてある。
④ 温泉の成分については湯崎七湯の分析結果まで報告されている。
⑤ 湯崎七景や白浜の十二景が紹介されている。
⑥ 昔からの詩歌が紹介されている。
⑦ 湯崎の名産として第一に『藷』があげられ、続いて海苔、天草、五色石、せんべい、とあるのも面白い。

「あとがき」は東某氏が次のように書いている。
《 地、僻にして道は険、牟婁の絶景天下に知られて久しい。そして、昔より貴賓文客の往来も少なくない。但し、史書の散乱、言い伝えや口碑で知ろうと思っても読むべき参考本なし。牟婁の天下に忘れ去られる所以である。この度知友毛利君が牟婁史の編纂と湯崎温泉案内記を出版するという。予はこれをひもといて、その引証博学文操豊富、凡そ湯崎温泉を中心とする付近の名勝を網羅してもらす処なし。近時、世道日に落ち、人心月に落ちる。 一度この地に遊ばんか、雑念の塵や垢を霊泉でそそぎ、軽桃浮薄の醜態を一掃し、その効果は豈、治病療養のみならんや。蓋し毛利兄は佛門の先師であって、一篇の温泉案内記を提示して普く衆生に心泉を浴せしめんとす。 一言綴りて祝辞となす。》

随分古くさい文章である。そして最後に汽船の発着時間が載せられていて、注意書きがついている。

① 湯崎温泉に遊ばんとする者は、和歌山より南は陸上に汽車はないので、海路汽船に拠るを得策とする。
② 航路は大阪商船株式会社の独占なれども、接遇親切にして汽船も近々新式船に取り替えつつあり。
③ 乗船券は二枚続きになって居り、乗船の節その一枚を渡し、更に下船の節は残りの一枚を係に渡さるべし。この券紛失する時は更に運賃を請求せられる事あるべし。

《 以下省略 》