私達の小学校の頃(大正十三年から昭和七年まで)は学校から先生に引率されて、毎月一日は氏神様へ、十五日にはお寺へお参りしたものです。今、こんなことをしようものなら、学校が特定の宗教を押し付けるとか、信教の自由を侵すとかで、いろいろと論議をよぶことでしょうが、当時は誰もそんなことをいう人はなく、むしろ学校から揃って参拝するということを、好意の日で見てくれていたように思います。
月初めの一日には、学校の朝礼が終わるとすぐその足で宮参りに行きました。そのとき、拝殿前の広場に並んで最敬礼をしたあと、こんな歌を歌いました。
「 みかきのしめの一筋に 心を清め身を治め 昔ながらの国民の 誠を神にしろしめせ 」
それから、十五日には寺参りに行きました。当時は海沿いの臨海道路(昭和四年に新設された)がまだ出来ていなかったので、狭い旧村道をワイワイ、ガヤガヤしゃべりながらお寺まで歩いたものです。
お寺に着いて、境内で並んで待っていると、庫裏の方から和尚さんがニコニコ笑いながら出てくるのです。私たちが幼かったのでそう思ったのかも知れませんが、本当に「お坊さん」という言葉がぴったりする柔和な人で、私たちのために色々な話をしてくれました。今では何の話しを開いたのかみんな忘れてしまいましたが、右手で顎のあたりをよく撫でる癖があったのが印象に残っています。このお坊さんは当山十七世の尾崎達雄上人で、昭和二十四年十二月八十歳で亡くなられました。
そして、このお寺でいつも唄ったのは、こんな歌でした。
「 仏の道に我らは引かれ 楽しい国に いざや行かなむ ああ御仏 ああ御仏 我らを愛す 」
「 我らの罪も仏の御手に まかせますれば この世は安くああ御仏 ああ御仏 我らを愛す 」
◎ 獅子舞のチャリ歌
瀬戸の熊野三所神社の秋祭りには、青年たちによって獅子舞いが奉納されます。わが県内の獅子舞いには、伊賀流・熊野流と二つの流派があり、この神社のものは古座から伝わった熊野獅子を受け継いだものと言われています。そして獅子舞は、幣の舞・寝獅子・剣の舞・牡丹の舞・帯扇の舞の五節に分かれています。そのうちの寝獅子では天狗とお多福が出てきて獅子に戯れますが、そのとき唄う歌がこれです。
「高い山から谷底見れば 瓜やなすびの花ざかり」
「お前は浜のジャコ引きか 潮風に吹かれてお色が 真っ黒けのけ」
(囃し、コチャかまやせぬ――)
◎ 獅子舞の太鼓の歌
獅子舞に太鼓はつきものです。これによって獅子舞が引き立つのですが、この太鼓を打つときの囃し文句がこれです。
「紺屋の娘さんに お藍さんがよかろ」
(コーリャ コリャ)
「米屋の娘さんに お桝さんがよかろ」
(コーリャ コリャ)