◎ 地揚き唄

昔の建物には基礎コンクリートというようなものがなく、大黒柱とか四隅の柱を据えるところは徹底的に地突きをして固めたものです。

その方法は三メートル位の「やぐら傘」という三つ又の櫓を組み、地突き石をぶら下げて、それに四本も五本も引綱を取り付けます。それをみんなで掛声をかけながら巻き上げては落とし、巻き上げては落とし、何度も繰り返して地固めをするのです。そのとき唄う歌が、この「地突き歌」です。


  「ここの屋敷は、めでたい屋敷

       鶴と亀とが舞いを舞う」

  「ここの屋敷は、もとより繁盛

       今は若世でなお繁盛」

         (囃し、エントナー、エントナー)


◎ 亥の子唄

秋の収穫も無事に済んで籾の臼挽きも終わるころ、十月はじめの「亥の日」には、春の田植えどきから稲の成長を見守ってくれた「田の神様」が田んぼから去って行きます。この日、農家では「亥の子餅」を作って田の神さまに供え、自分達も「かたやすみ」するのです。

このとき、近所の子供たちが集まって「亥の子石」を作ります。これは、直径二〇センチ前後の石を紐で堅く縛りつけ、その四方に人数に応じて長い紐を取り付けたものです。これを皆で提げて回り、お餅をくれそうな農家の門口に立つと、兄貴分の子供が大きな声で「祝いましょう」と叫びます。すると子供たちは「亥の子唄」を唄いながら、亥の子石を周りから引っ張ったり緩めたりして、地突きするのです。


  「旦那大黒、奥さん恵比須、できたこの子は福の神

               アア、ヤシンコラ、ヤシンコラ」

  「ここの屋敷に丼戸掘り据えて、水が涌かずに金が涌く

               アア、ヤシンコラ、ヤシンコラ」

  「親はトユ竹、子はトユの水、親がやら行くどこまでも

               アア、ヤシンコラ、ヤシンコラ」

こんな歌を唄いながら「どすん、どすん」と祝っているうちに、兄貴分の子が盆を持って中へ入り、餅を貰いに行くのです。くれた餅が自餅ではなくて「いも餅」のような安物だったりすると、
「いくら呉れても、芋餅いらな、 一つくださんせ白い餅」と言って、白餅をくれるまで囃したてたりします。そして、いよいよ呉れないと、 「旦那ダラスケ、奥さんクダラ、中の娘はニガホジじゃあ」と嫌みの言葉を投げ付けて帰っていったりしたそうです。

「地突き唄」と「亥の子唄」がよく似ていることや、亥の子の日に子供達が「地突き」のまねごとのような仕草をするのは、何か関係がありそうな気がします。ご存じの方がいれば、教えて戴きたいと思います。