大正十三年、東和歌山駅から箕島駅まで開通した紀勢西線は、さらに南へ南へと伸び、昭和七年には田辺駅まで到達していました。そして、白浜口駅までの開通は昭和九年三月という予定になっていたのです。

ところが、当時の白浜は目ざましい発展の途上にあり、国鉄では三カ月完成を早めて、正月に営業を開始できれば、およそ二十万円の増収が期待できるということで工事の早期完成に全力をあげました。

その結果、新庄・朝来・白浜口・富田の四駅までの開通が予定より早まり、昭和八年十二月二十日に全工事が終了しました。

開通式の当日は、各駅で開通祝賀行事が行われたあと、新庄・朝来・西富田・瀬戸鉛山・南富田の五ヵ村合同の大祝賀会が午後一時半から、熊野三所神社境内の回り舞台を中心に、約九百人が集まって盛大に行われました。そして、昼は旗行列、夜は提灯行列に大勢の人達が参加して、終日大変な賑わいでした。


 「幾年ここに待ちわびし、二条の鉄路ひらかれて

    栄えある今日の開通に、文化の光りいや増さん

      祝へや村人、なびかせ旗を――」


祝典で披露された歌がこれですが、作者が誰なのかは分かっていません。