盆踊りの歌(鈴木主人の歌・沼島音頭)

私達の子供の頃の思い出に盆踊りがあります。夏になると、あちこちで盆踊りが行われていたが、その中でも代表的な場所はお寺の境内と江津良、綱不知の地蔵さんでした。

盆踊りの風景は今でも昔と変わりませんが、広場の真ん中に櫓を組んでそこから四方に綱を張ります。それに沢山の提灯を吊りさげ、この櫓を中心に老いも若きも一緒になって夜遅くまで踊ったものです。

この踊りのリーダーとなるのが音頭とりです。櫓の上に陣取って、雨が降っていなくても唐傘をさし、片手には歌の本をささげ持って「ヤートセー」と歌いあげるのです。こうして踊り手や観衆を盛り上げていくのが音頭取りの腕なのです。当時はマイクなどあるわけがなく、ナマの声を張り上げるのですから、美声であると同時にかなり声量もなければつとまらなかっただろうと思います。

この音頭取りを務めた人達の名前を、私の聞いた範囲で記録しておきたいと思います。

▽ 瀬戸 地区《嶋 清太郎・金谷 徳松・谷上 由太郎・浦 政吉》

▽ 江津良地区《嶋 忠蔵・田井 勇一郎・田井 善兵衛》

▽ 綱不知地区《正木 善松・正木 忠兵衛・真鍋 伊右衛門》

よく唄われた歌は『鈴木主水』と『白糸口説(くどき)』で、長い物語りを四十分から一時間もかけて唄ったそうです。

私はかねてより、この歌詞のすべてを知りたいと思っていたところ、幸いにもお寺の庫裏を改築したとき、庫裏の天丼裏から色々の古文書と一緒、にこの盆歌の歌集が発見されました。こんなに全部の文句が書き残されているのは珍しいことなので、初めのくだりを書いておきましょう。

▽  『鈴木主水と白糸口説き』

「花のお江戸のその傍らに さても珍し心情ばなし ところ新宿四ツ谷の町よ 紺ののれんに桔梗の紋よ 音に聞こえし橋本屋とて あまた女郎衆のあるその中で お職女郎の白糸こそは 年は十九で当世そだち 愛嬌よければ皆々様が 我も我もと名指ざして上がる わけてお客はどなたと聞けば 春は花咲く青山へんで 鈴木主水と言う武士よ 女房もちにて二人の子供二人子供のあるその中で 今日も明日もと女郎買いばかり 見るに見かねて女房のお安 ある日我がつま主水に向かい――。」

物語のあらすじは、鈴木主水が女郎の白糸に溺れきっているので、彼の妻が悩んだ末自殺します。そして、そのわけを知った女郎の白糸もそれを苦にして自殺を遂げます。さらに鈴木主水自身も後追い自殺をとげるという物語を歌いあげたものです。

こんな歌を「音頭取り」が唄って声を競い合うのですが、それぞれの唄い出しは「私の音頭は雨夜の星よ、出たり入ったりまた出たり――」と唄い、それから本番に入るのです。

歌の合間合間には踊り手たちの「ヤートセーヨーイヤナー」という少し哀調を帯びた囃し言葉や「コレワイショ」という元気な掛声も飛び交って踊りの雰囲気がさらに盛り上がるのです。

◎ 盆踊りの変遷

瀬戸の盆踊りはいつ頃から初まったのか知りませんが「仏の魂祭」として、 一年の中元(七月十五日)に祖先の霊を迎え供養する行事として始まったようです。こうした伝統的な儀式が時代の移り変わりと共に、次第に質的な変化をとげ、宗教的行事の中にも娯楽的要素が加えられ、地方色豊かな歌や踊りが取り入れられたのではないでしょうか。

昔は「日の出とともに働き、星をいただいて帰る」という生活でしたから、余暇を楽しむ手段が乏しく、盆踊りは人々にとって数少ない楽しみの一つであったに違いありません。

どこかで盆踊りがあると聞けば若者たちは一斉に押しかけます。そして、こうした開放的な雰囲気の中では当然のこと、男女の間に性的な関係が生まれても不思議はないでしょう。

江戸時代には「鈴木主水」のような人情ばなしが大流行し、性風俗が乱れてきましたので、天保十三年(一八四二年)には人情本の発売禁止措置がとられましたし、近くは明治二十三年(一八九〇年)に県令で盆踊りを禁止されました。風紀上好ましくないというのがその理由でした。 こんな禁止令が出されてからも ―警察の眼の届く所ではそれが守られましたが― 瀬戸のような田舎や山奥の村落では、形を変え依然として続けられていたようです。

大正五年八月、田辺の各寺から「盆踊り復活」の許可申請を出しましたが許可されませんでした。しかし各方面からも復活の要求が強くなったので、県ではこの声の昂まりを押えることができず、ついに大正十一年九月五日この禁止令を解除しました。それ以来、今日見られるような何の拘束もない盆踊りが復活したのです。


◎ 沼島(ぬしま)踊り

戦前のことですが、毎年春になると淡路島の由良や沼島から大勢の鯛釣り漁師たちが瀬戸へやってきました。そして、この辺の海で二、三ヵ月漁をして、再び故里へ帰って行くのです。その沼島(淡路島南端)の踊りが当地の盆踊りの会場で披露され大変な人気を呼びました。

この踊りは旧来の盆踊りのようにゆっくりしたものではなく、勇壮でテンポが早いという特徴をもっていたので、すぐに土地の若者達に受け入れられたのです。


「アー、ヨーイ、ヨーイヨーイトナ」の囃しも軽く、歌は

「おかさんイマキの干したのか―もったいないこと言わんすな―」

「アー、ヨーイ、ヨーイヨーイトナ」を繰り返す。


◎ 兄妹心中

この歌はあまり歌われなかったようですが、歌詞が残っているので書き留めておくことにしましょう。

「兄の寛平が妹に惚れて、一夜頼むよ これお清どの。そこで妹のお清が言うに、私の夫にコモソがござる。コモソ殺して下さるならば、一夜が二夜でも三パチ夜でも、妻となります これ兄さんよ。聞いてお清が我家へ帰り、奥の一間でわが身の支度。上はリンルイ下にはチリメン。当世はやりの丸くけの帯。三コト廻してキチヤに結び……以下省略」このように盆踊りの歌は性に関するものばかりでした。

当地でも「鈴木主水」のような女郎買いの歌や「兄妹心中」のような乱れた性を取り上げた歌が殆どでした。
shira25